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今回の撤退報道。
その経緯は他に任せるとして。
(6日から仕事だったので、完全に乗り遅れた・・・)



「ホンダが亜久里をそそのかしてチームを作らせた」という意見がある。

整理したい。


1.
2005年のBARホンダ時代の2月のこと。
2004年末にホンダはBATからBARの株の45%を取得。残り55%も2005年に取得する方向で動いていた。
そこに鈴木亜久里がホンダに行って、「BARの残り55%の株を買いたい。」と提案した。
「ホンダと琢磨と一緒に日本色を前面に押し出したF1チームをやりたい」とも。
当時の亜久里には、ディレクシブ(秋山新)が「F1一緒にやろう」という声がかかっており、資金の心配はしていなかった。
(とはいえ、ディレクシブもアテにしてはならなかったのは後日判明)
この提案はホンダ内でも議論されたが、結局は自社でF1チームを完全買収することに落ち着いた。その理由は「日本を押し出す」という点にアメリカホンダの反対があったことによるらしい。

2.
当時HRD社長の和田氏はミナルディが売りに出ていたことを知っており、
亜久里氏の提案が具体的だったこともあって、「資金があるならミナルディを買ったらどうか」
「そのときはホンダからエンジンと技術供与する準備がある」と申し出た。(7月ごろ)
この話には、すでにBARからの放出が決まっていた佐藤琢磨を拾ってほしいという願いもきっとあったはず。
だから、できる限りのこととして、エンジンや技術は面倒見ましょうと。

2005年の7月。この時点でディレクシブは音信不通になっており、亜久里は資金のアテがなくなっていた。
また、レッドブルもミナルディ買収に乗り出していた。(結果、レッドブルの買収が成立)

3.
それでも亜久里は「45歳でF1チームを持つ」という夢にしたがい、「じゃあ自分で作るか」という話をし始めた。
2008年にF1参戦基準が引き上げられることが発表されており、チャンスが2006年しかないと思われた。
参戦さえしてしまえば、その後はカスタマーカーを使える方向でFIAも動いていたので、1年我慢すれば問題ないはずだった。
その1年についても、BARの型落ちマシンが使える方向で調整されていた。
実際には、その後状況が変わってそれすら駄目になり、最後の手段として4年落ちアロウズが使われることになるのだが。

で、結局それで押しきっちゃったんだよね。本人のバイタリティで。


だから「ホンダがそそのかして・・・」っていうのは誤報だと思っている。




ま、2005年はホンダにしたって
「ありゃバトンはウィリアムズに取られちゃうの?」
「バリケロ押さえとくか」
「え?バトン残るって?」
「琢磨どうしよう・・・」
という風に見えるのは仕方がないけど。
まだBARだったからなのか、やたらとイギリスで勝手に物事が決まってたような。



「ホンダ不買運動」について

2005年の琢磨放出時の「ホンダ不買運動するぞ」っていう風潮に比べたら、まあ今の方がまだおとなしいのかな。
1988年にマンセルがジャッドエンジンになっちゃった時の、イギリスのホンダバッシングに比べたら・・・。
亜久里だってあれだけ「ホンダには感謝している」と言っているのに、それが汲み取れないのではSAF1のファンだと言えるんだろうか。

去年の富士があんなで、「トヨタ不買運動」が広がってるはずなのに、トヨタの売上が落ちた話も聞かないしねぇ。


結局、F1ファンなんてちっぽけな集団なんだよね・・・。


そうそう、ホンダ不買運動もいいけど、それでトヨタや日産に乗るのはちょっと待った!
かつて亜久里氏がARTAを立ち上げたときに、トヨタに協力を求めたら門前払いで、日産もダメでホンダだけが賛同してくれた経緯があって。
それ以来ずっとホンダでやってきたっていう事実は勉強した方がいいんじゃないかなー。
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2008.05.07 Wed l F1 l COM(0) TB(0) l top ▲

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